コレに注目!
「風と走りたい。風を感じたい」…キザかもしれないけど、本当にこれがはじまりだった。 子供の頃、自転車に乗れるようになったとき、「眠っていた本来の自分」が目覚めたかのように、無性に嬉しかったことを覚えている。乗れたことが嬉しいのではなく、風を感じることができた事が嬉しかった。 高校の頃、片岡義男の小説『彼のオートバイ、彼女の島』を読んで、強く共鳴した。小説の中の主人公になりきって読んだ。 当時、原付免許だけ持っていた私は、友人の原付バイクを借りて、夢中で走った。右手を捻るだけで、自転車とはまったく違う速さで、地面の上を滑って風を切り裂く感覚に、僕の背中に羽が生えたと錯覚した。 高校を卒業して、すぐ中型免許を取り、アルバイトをして中古ではあったが、あこがれのkawasaki−Zを買った。それ以来、帰省、通学、買い物はもちろん、単調な毎日から僕を切り離して、風を感じさせてくれる「翼」になった。
実はこのあと調子に乗って砂浜で走ったら タイヤが埋まって大ピンチに…。(筆者談)
Kawasaki−Zは、あまりゆとりのない生活の中での僕の宝物であり、毎日の出来事を語り合う相方だった。雨でも風でも夏でも冬でも、どこへ行くにも、いつも一緒だった。 一人でツーリングに行って、すれ違うオートバイとピースサインを交わす時、知らない人との一瞬の触れ合いがたまらなく嬉しかった。ツーリング先でオートバイを停めていると、横に停めた知らないライダーが話しかけてくる。どこかの太ったおじさんも「僕も昔はねぇ。」って話題に入ってくる。風に憧れた者たちの輪ができる。 別れの決断 結婚しても、この「風へのあこがれ」は治まらなかった。kawasakiからHONDA 、YAMAHAになり、家内とタンデム(二人乗り)で、中距離の日帰りツーリングにも出た。秋の高原、夏の海。木々の緑、香る潮風、それこそ風を感じて走った。時には土砂降りに遭い、皮ジャン、パンツまでがぐっしょり濡れた。やけくそで笑いながら走ったのも思い出だ。子供が出来たら後ろに乗せて走るのも夢の一つだった。 実は、そのYAMAHAは、今はもうない。僕の勝手な都合で2年前に売ってしまった。というより自分の心に言い聞かせて、大事な選択、一つの決断をしたのだ。別れの日、YAMAHAは主人に捨てられた飼い犬のように、トラックに積まれていった。それこそ体の一部をむしりとって、むりやり持っていかれたような気分だった。しばらくは街に出るたびに、気がつくと相方だったYAMAHAを目で探す日が続いた。 そして今。街でにぎやかな排気音を聞くと、思わず振り返り目で後を追っている自分がいる。「風へのあこがれ」は心の中で、今でもくすぶり続けている。街角に停めてあるとても魅力的な最新式のオートバイたち。最近はビッグ・スクーターが人気だとか。腕がうずいてくる自分に気がつき、苦笑しているこの頃だ。