夏から秋へ 移りゆく風景 夏の1ページ
学生時代、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」で華々しくデビューした当時、私は、神奈川大学の学生でした。サーファーというわけではなかったのですが、いろいろあるアルバイトの中で、炎天下のプールで監視員のバイトをしながら救急法を学んでいました。決して救急法が学びたかった訳ではありません。「プールの監視員はサングラスを掛けて椅子に座って見ているだけだから、楽だろう」と思い、同じクラスの山形県出身の友人に誘われるままに始めたのがきっかけでした。
しかし、始めてみると、開場前と閉場後には必ず救助訓練を行い、客の休憩時間にはデモンストレーションを行う毎日でした。予想以上の大変さで、一夏でやめるつもりでしたが、そこで知り合った指導者や先輩が、くじけそうになる私を励ましてくれました。卒業する頃には子供たちの水泳教室に指導者の助手として呼ばれることもありました。
ファッションへの「こだわり」との出逢い 私が横浜にいた'80年前後、横浜トラディショナル「ハマトラ」や「サーファールック」がファッションの流行でした。こうした影響を受けていたのか、当社に就職して資材課の先輩から「洋服を買うなら…」と、富山市の中央通りのある店を紹介され、そこへ通ううちに60年代前半に流行った「トラッド」や「アイビー」ファッションが「ハマトラ」の源流と知りました。そのお店でたまたま目にしたファッション雑誌に、「街のアイビーリーガース」といって、各地のアイビーリーガーを、写真と批評を添えて紹介するコーナーがあったので、写真を撮ってもらいたくて夏にはドライヴをかねて、松本市や金沢市にまで出かけたものです。たまたま知ったお店との出逢いが、今に至るまでの、私のファッションへのこだわりになりました。 夏と言って欠かせないのは、妻の誕生日。結婚してから初の妻の誕生日8月15日に、短い詩を妻に送りました。今、読み返すと照れるばかりの詩ですが、当時の浴衣姿の妻の写真と一緒にフォトスタンドに入れて部屋においています。16年間の感謝を込めて。
<花の顔(かんばせ)> 八月の空に咲く大輪の花火を 雲間から遠慮がちに見ている月の様に 花模様の浴衣を着た 君の顔に映る色ほど 幸せにしたい 君の耳に響く音に紛れて 二人の鼻緒は切らないと 神の通る川のほとりで 僕は指きりをした