夏から秋へ 移りゆく風景 秋を呼ぶ、風の盆
山里の静かな町、八尾。この町が、年に一度脚光を浴びる時があります。 立春から数え二百十日目に、風を治め五穀豊穣を祈って行われる「おわら風の盆」です。
八尾で生まれ育った私は、三歳から踊りを始めて以来、踊り子が町の浴衣で踊れる25歳まで毎年おわらに参加しました。26歳の風の盆におわらに参加できない寂しさから三味線を始めました。華やかな踊りに比べ、三味線は地味で大変でした。右手小指にはバチダコ、左手は豆だらけ。ただ弾けばいいというものではなく、良い音、おわらの音色を出さなくてはなりません。そのためには日頃の練習より他ありません。三味線は生き物です。ちょっとした環境の変化でも音が変わります。そうやって四苦八苦しながら、それなりのおわらの音色をだせるようになるまで何年かかったでしょう。 十年前、西新町から福島町内に嫁いだ私は、福島の浴衣に身をつつみ、おわらに参加しました。 町舞台の帰り、観光客の人が地元のガイドさんに「何町の人たち?」とたずねていました。するとそのガイドさんは私の顔をみて「西新町の人たちです」と言いました。「ちがうよ、福島だよ」と言いそびれてしまったのですが、後で考えてみると、私は西新町の「顔」だったの?少し低い鼻が持ち上がったような気がしました。 「このハヤシ、高いね」 毎年7月におわら演技発表会という、各町が日頃の練習の成果を披露する行事があります。五年前のこと、旦那が出演するので、四歳になったばかりの娘と見に行きました。ある町のハヤシがあまりにも音がはずれていました。それを聞いて娘は「このハヤシ、高いね」とずばり指摘したのでした。親もびっくり、周りの人達もびっくりでした。 その年の風の盆です。娘はおわらに参加するので、私は同伴するため観光客の様に帽子をかぶり、リュックを背負い、カメラをさげて付いていました。いつもいっしょに練習している人達から「どこから来られたのですか?」とひやかされて「沖縄から来ました」と冗談を言って踊りの輪を眺めていました。すると、隣で見ていた観光客の人が、目の前を通り過ぎる私の娘を見て「あのピンクの浴衣を着た女の子、将来いい踊り子になるぞ」と言っていました。それを聞いていた私は「あれはうちの子です」と心の中で大声で叫んでいました。親に似て、暇さえあれば踊っている娘も、おわらが大好きなようです。 一人夢見心地で弾く、三味の調べに
三年前、娘がおわらに参加するようになって、真夜中の町流しにしか参加できない私は、その日も1時頃から三味線をかかえ町中を流して歩きました。明け方の4時頃疲れ果てた私は弾きながら眠っている状態で、旦那にも「帰って寝ろ」と言われ一人帰ることにしたのですが、そんな疲れた私とは裏腹に三味線は、実にいい音を出しているのです。
勿体無くて家までの間一人で弾いて帰りました。もうすぐ家なので手を止めると、いつの間にか着いてきておられた一人の観光客の人が寄ってきて「もう終わりですか?」と尋ねてきました。「ええ、もう疲れたから休みます」と答えると、「いいもの見せて頂いて、来たかいがありました、ありがとう」と感謝されました。私はなんとなくいい気分になって心地良い眠りにつきました。 今年ももうすぐ風の盆、八尾の人々は浮き足立っています。今年はどんなドラマがまっているか楽しみです。 「〜浮いたかひょうたん、かるそに流れる、行先ァ知らねど、あの身になりたや…」