コレに注目!
私のライフスタイル
技術部敷設課 ハンドルネーム α117(60代・男性)
私は山口県宇部市に生まれた。瀬戸内海に面した都市であり、近所は漁業に携わる家が多かった。父も漁師で、獲れた水産物を市場に売って我が家の生計を立てていた。 漁業は、日によって漁獲高がまったく違う。天候に左右されることが多く、獲れる日と獲れない日の差が激しいため、日によって収入の差も出てくる。まさにその日暮らしの生活だった。小中学生の頃、クラスにいた農家の子の家は大きいイメージがあり、子供ながらに「農家は金持ちなんだろうな」と思っていた。 同じ漁師でも、大勢でやるような漁のタイプは儲かっていた。父は一人で地道に漁をしていたが、もし私たち4兄弟を漁師にして一家で漁をすれば儲かっていたかもしれない。しかし父はその道を選ばず、4兄弟皆を進学させてくれた。ある種“博打”のような漁師の仕事はやらせたくなかったようだ。だから私は高校を卒業後、両親へ恩返しの思いを込め、また社会人として一旗あげたく、神戸にある会社に就職した。 働いてしばらくしてから、神戸の田舎に家を購入した。その地帯で畑をしている友人も多く、我が家にも畑が隣接していたが、私は根っから土いじりの性分ではなく、畑には一切手をつけなかった。 それから長い年月が経ち、神戸の会社を退職した平成20年、一旦山口へ帰ったのだが、縁があって当社で働くことになった。富山での一人暮らしを始め、家事全般をすることになったのだが、しばらくして野菜を食べる機会が極端に減っていることに気付いた。意識的に野菜を摂ろうとするが、毎日こまめに野菜を食べることが難しく、何か良い方法はないかと思いあぐねていた。 きっかけはひょんなことから 昨年7月頃だっただろうか。一時的に山口の実家に帰ったときに、隣接している空き地でそこの地主の方が草刈をしているところを偶然見かけた。以前までは気にも止めていなかったが、そこでハッと「ここで野菜を作れば…」と思いつき、すぐに地主に話を持ちかけた。何度か話し合いを重ね、畑のメンテナンスをし、固定資産費用を払うという条件で、その土地を借りられることになった。約100坪はある土地だ。 まずは耕運機を購入し、早速土を耕すところから始めた。もともと宅地だったため、石ころが多かった。月に一度帰省した短期間を使って部分的に耕し、4ヶ月かけて準備を整えた。その間、妻や義母も手伝ってくれていた。 土づくりが一段落した後、肥料や工具をしまっておける小屋の必要性を感じ、100%手作りの小屋を建てた。ホームセンターですべての材料を調達し、6平米の小屋が出来た。 畑の周りには花壇も作り、季節ごとの花を楽しめるようにもした。たまに、近くの老人養護施設へ向かうお年寄りが立ち止まって目で楽しんでいただければ、という思いもある。
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多種の野菜を栽培中
自宅に隣接する手作りの小屋 手前には収穫したばかりの玉ねぎが。 階段にたたずむのは愛犬“元気”。
畑の周りには色とりどりの花
おかげで、今では朝獲れたての新鮮な野菜が食べられる。今の時期なら、赤玉ねぎ、アスパラ、レタスなど多種の野菜が美味しくいただける。実家に帰ったときの朝食時は、妻と野菜の話で盛り上がる。義母が遊びに来ると、お互いの家の野菜作りについて話が盛り上がり、情報交換の場にもなる。野菜作りを始めてから、食卓も活気付いた気がする。 富山に移動するときは、野菜を真空パックして持ち帰る。これで野菜不足も若干解消された。多く収穫できたときは、兄弟たちにも送るとたいへん喜んでもらえる。 今まで畑仕事には一切携わっていなかった私にとっては、一種の“挑戦”だったが、今では楽しみの一つになっている。畑仕事で身体を動かしたり、多くの野菜を摂ったりすることで健康維持にもつながるため、今後も継続していきたいと思う。将来的には野菜だけではなく、海で魚を釣ったり、ニワトリを飼って卵なども自分で調達したりして、本当の「自給自足」の生活ができれば良いと思う。まずは、小型船舶操縦免許を取ってボートを買うところから。「今だからできる」チャレンジは始まったばかりだ。