昭和の歌謡曲
管理部検査班 ハンドルネーム マイカーラオケ(60代・男性)
小学校の頃から歌、とくに歌謡曲が好きで、ラジオから流れる流行の歌謡曲を聴きながら紙に歌詞を書いて覚えていた。テレビが普及してからは歌番組を見ながら歌詞を口ずさみ、いつしか自分で結構歌えるようになった。高校生の頃、テレビで映画「湯の町悲歌(エレジー)」を観ていて、挿入歌「湯の町エレジー」を初めて聴いた。イントロ部分のギターの音色に、鳥肌が立つほど衝撃を受けた。この曲は古賀政男作曲で、本人のギター演奏で始まる、伊豆を舞台にした昭和27年のヒットソングだ。映画にも主演した近江敏郎が歌っており、私も歌の練習をして何とか歌えるようになった。これだけでは満足せず、今度は知人からギターを譲り受けて音楽雑誌を購入し、ギターを弾けるよう練習した。ちょうど20代前半だった。 その頃は、「流し」がカッコよく自分の憧れだった。「流し」とは、飲み屋街などでお客のリクエストした曲をギターやアコーディオンを使って即興で歌う、というもの。昭和30年代当時は、3曲で100円の稼ぎがあったようだ。以前テレビ番組を観ていたら、北島三郎が流しをしていたときのことを話していた。お客の好みでどんなリクエストにも応えられるよう相当数の歌を歌えねばならない。 同世代の歌に元気や夢もらう 最近ではギターの練習も途切れ途切れになり、なかなか上達しないままいつしかギターにも埃がつくようになった。人前で弾くには程遠く、「流し」への憧れがいつしか消え去ってしまった。 しかし今でも懐メロ(昔の歌)が好きで、会社帰りの車内が密室状態なのをいいことに、時々大声で歌いストレスを発散している。やはり気持ちのいいものだ。 年のせいだろうか、最近の歌は興味がなく覚えたいとは思わない。以前は多くあった歌番組も数少なくなり、私の世代がなじみのある歌謡曲はNHKの歌謡番組でなければ聴く機会がない。昭和の歌謡界を代表する天才歌手・美空ひばりは、時代が昭和から平成に変わってすぐにこの世を去った。彼女が亡くなって歌謡曲の一つの時代が終わったように感じる。 私は今でも演歌が好きだ。えん歌は「演歌」「艶歌」「援歌」「怨歌」などと表現し、いろいろな表情がある。聴いて元気に明るくなり、明日に夢を与える歌が今後も歌いつがれることを願うのは、自分ひとりでは、ないと思う。