こうした仕事に危険は付き物だから、つい現場では言葉が厳しくなる。怒鳴り声は珍しくはないし、兄たちにも大きな声がしばしば飛んでいた。しかし手を上げるとか、むやみに怒鳴るといった人ではなく、技術に対する敬意とこだわりを持っていた。
中学を出てから、県の技能学校(後の職業訓練センター)で建築の勉強をすすめたのも、「手に職を…」という親父のこだわりだった。当時大谷製鉄鰍ナ工務の班長をしていた兄の口利きで当社に就職し、「鋳鋼」用の木型を作る旋盤の仕事をしながら夜学に通ったのだが、そこで夜間高校を途中でやめないで4年間通わせてくれたのも、ある意味、親父の別のこだわりだったかも知れない。 <ページ先頭へ> |