月刊OTANI'09 新年号特別企画

私の青春ミュージック 私の青春ミュージック

 昨年10月から、当社提供のKNBラジオ番組「レディオ・グラフィティ〜音楽の風に吹かれて〜」が始まりました。番組開始にあやかって、60年代から70年代にかけて青春を過ごした役員、社員や協力会社の皆さんに、この時代のお気に入りの曲、思い出の曲を語っていただきました。
 その中から、ラジオやレコードで聴く音楽が、消耗品ではなく、生活の中で思いを込めて大切に聴かれていた文化だったことが浮き彫りになってきました。

「レディオ・グラフィティ」
 KNBラジオで、2008年10月からスタートした、音楽番組。毎週土曜日、夕方5時から30分間。戦後の日本の発展を支えてきた団塊の世代が、青春時代を送った1960年代〜70年代は、現代のポピュラー・ミュージックの基本的スタイルが出揃ってきた時代でもあります。当時の曲をフルコーラス、ノーカットでオンエアーする番組。

【番組ホームページから】
「グッドミュージックをフルコーラスでお届けします♪
音楽が一番輝いていたあのころに、青春を過ごした人
そして、そんな時代の音楽が大好きな人へお届けする30分
ゆったり過ごす週末の夕方、
心満たす音楽の風に吹かれてください。」
http://www6.knb.ne.jp/radiograffiti/


ラジオから聴こえた世界

 真空管のラジオから流れ出る音楽が、唯一の新しい音楽ソースであった時代がありました。テレビが普及し始めてもまだ音楽番組は少なく、特に洋楽は、ラジオからの情報が最も新しく、アメリカだけではなく、ヨーロッパ各国の音楽がなだれをうって入って来ました。深夜番組や短波放送で流れる音楽に心を熱くしていた時代。

協力会社 椛蜻野テクノサービス社長 67歳
洋楽を手当たり次第に


 私たちの青春時代は、洋楽が相次いで日本に入って来て、真空管のラジオにしがみつき、短波放送でむさぼるように聴いたものでした。富山では生のコンサートといえばクラシックしかなかったですから、ポピュラー音楽を聴くとなるとラジオ。それとお小遣いをためてレコード盤でした。今でも家には当時のコレクションがありますよ。
 ジャンルといい、国別といい、どっとなだれ込んできたようでしたが、今と違うのは音楽が消耗品ではなかったですね。繰り返し、繰り返し聴いたものです。「聴き込む」といった感じでした。
 いろんなものを聴きましたが、まずヴォーカルではプレスリーですね。ナット・キング・コールやサッチモ、アンディ・ウイリアムスも大好きでした。ジャズのビッグ・バンドのグレンミラー・オーケストラや、マンボのペレスプラード楽団は、踊りに行った思い出と結びついています。日本ではダーク・ダックスやデューク・エイセス。インストゥルメンタルでは、カーメン・キャバレロのピアノ。ハワイアンやウエスタンなど、音楽だったら何でも手当たり次第に聴いていましたね。

営業部 61歳
深夜番組に投稿も

 高校1年生の冬に、アルバイトをして貯めたお金で、レコードプレーヤーを買いました。そして、初めて買ったドーナツ盤が、西郷輝彦の『十七才のこの胸に』でした。後年、橋幸夫、舟木一夫と3人で“御三家”と呼ばれていた中で、私は彼が一番好きでした。あんなに好きでよく聴いたのですが、今歌詞を思い出そうとしても部分的にしか思い出せず、懐かしくなって、ネットで歌詞を調べました。
 私が16〜17歳の頃は、ビートルズやベンチャーズ、そしてグループ・サウンズの全盛期で、ラジオ、テレビでいつも流れていましたが、ただ漠然と聴いているだけでした。関西のラジオで夜11時から3時までの“ABCヤングリクエスト”という番組がありましたが、眠い目をこすりながらよく聴いていましたよ。当時は葉書リクエストが主流で、私の葉書も何度も採用されました。その中で唯一覚えているのは、小学生の頃によく聴いた三浦洸一の曲で、「伊豆の踊子」のテーマ曲『踊子』です。あと同時期の曲ですが、ペギー葉山の『南国土佐を後にして』も印象的です。彼女はポピュラー&ジャズ系の歌手だと思っていたので、この曲を聴いたときは少々衝撃を受けました。この2曲は機会があればカラオケで披露できますよ。

総務課 55歳
グループサウンズ、フォークソング中心に幅広く

 当時KNBアナウンサー・越前修氏のラジオ番組をよく聴いていました。若者向けのリクエスト番組で、当時流行していたフォークソングやグループ・サウンズ、POPSがよくかかっていました。洋楽も多かったかな。GSが全盛の時代でしたから、ザ・タイガース、テンプターズ、ジャガーズ、ドリフターズなどが印象に残っています。確か日曜日の昼の時間帯でしたから、昼寝がてら聞いて、終わってから出掛けたりで、毎週欠かさず聞いていました。なかでも、プラターズの『オンリー・ユー』は好きでよく聴いていました。
 あとは、クラスメートの間で流行っていたのは、シューベルツの『風』。当時の私たちにとってはまさに青春を感じさせるような内容でしたから、登下校時など皆集まると自然に口ずさんでいました。“人は誰もただ一人旅に出て 人は誰もふるさとを振り返る”という歌詞が、自我意識が芽生え始めたころの私の心に強く響きました。


家族との思い出と、あのメロディー


 幼いころ、家族の好みでお茶の間に流れていた音楽。特に意識はしていなかったのに、心のどこかに残っていて、ふと耳にすると、家族の思い出とともに懐かしさがこみあげてきます。家族、友との何気ない会話の中にも、いつも音楽がありました。

圧延課 57歳
僕の髪が〜肩まで伸びて〜♪

 小学校時代は、母が美空ひばりを聞いていたので、一緒にテレビなどを見て耳にすることが多かったです。中学生のときは御三家。といっても、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦の“元祖”御三家のほうですよ。高校生になった頃は、ビートルズやグループサウンズが流行ったのでよく聴いていました。友達の中には、彼らの影響でギターを始めるなんて子もいましたね。演奏会も開いていたし、卒業式でも演奏していましたよ。
 大学時代は吉田拓郎が好きで、上下ジーンズ姿で「結婚しようよ」の歌詞のように、髪を肩まで伸ばしていました。けれど夏休みに親戚が集まると、「お金を出すから髪切って来い!」って言われました。結局美容学校に行っていた近所の女の子に、ただで切ってもらいましたが、妙な髪形になってしまったのも、今となればいい思い出です。

製品発送課 57歳
母の思い出と結びついて

 私が学生の頃の歌といったら、やっぱりグループ・サウンズでしたね。「時代の音楽」だったのでしょうね。音楽をやっている友人の一人はこんな歳になっても、富山のとあるバーへ、たまに演奏しに通っています。やっぱり凄いと思いますね。
 そうそう、レコードと言えば、母親は、戦中・戦後の頃の美空ひばりのレコードを持っていました。私も子供の頃から、良く聴いていましたね。私自身はあまり音楽に興味がなかったのですが、家の中にはそうした曲が流れていました。「思い出の歌」といえば、あの蓄音機から流れていた曲がやっぱり懐かしいですね。
 よく、いろいろな曲で励まされた、というお話を聞きますが、私にとって励まされた曲と言えば、坂本九さんの「上を向いて歩こう」かな。

電気課 55歳
『シャボン玉ホリデー』のザ・ピーナッツ

 私自身はあまり音楽を聴く習慣はないのですが、唯一『シャボン玉ホリデー』という音楽バラエティー番組は観ていました。ザ・ピーナッツがこの番組の中で歌うエンディングのテーマソングは印象的でしたし、ハナ肇とクレージーキャッツが演じるコントやトークのコーナーも面白かったので毎週家族でみていました。
 母と2人の妹たちは音楽が好きだったようです。母は美空ひばりや島倉千代子などの歌を好んで、よく車のカーステレオで聴いていましたし、NHKの『のど自慢』も当時からずっと見ています。このように母は歌が好きなのでしょうが、未だに母の歌声は聞いたことありません。母親が歌う美空ひばりも聞いてみたいものです。
 妹たちは小柳ルミ子や加山雄三のレコードやカセットをたくさん持っていましたので、そうした環境で何となく私の耳にも触れてはいました。そういえば最近、小柳ルミ子と加山雄三のパチンコ台がありますね。いえ、テレビCMの話ですが(笑)

圧延課 58歳
当時の「新しい音楽」を体が覚えている

 私の中学・高校時代、ビートルズが来日した頃で、それまでの歌謡曲よりも、タイガースやクレイジー・キャッツなど新しい音楽を聴きながら過ごしてきましたが、熱中するほどの興味はありませんでした。それでも、周りに流れていた音楽というのは、なんとなく体が覚えているのか、最近になってBS放送で「寺内タケシとブルージーンズ」が出ていたのがあって、思わず見入ってしまいました。『エレキの神様』といえば、やっぱり寺内タケシ。ヒーローですよ。
 少し時代は違いますが、さだまさしさんの歌で、歌詞を聴いていてすごく励まされた曲がありました。曲名が判らないのですが、たまたま流れていて、心に染みました。
 うちのカミさんはそれなりに音楽を聴くほうだったから、家に凄い数のレコードがありました。確か尾崎豊の若い頃のレコードもあったかな。
 でも10年位前に「レコードはもう聴かないからどうしよう」と困っていたら、町内会長の勧めで、全て公民館に寄付してしまいました。イベントで使うのだとか。
 昔は蓄音機が普通でしたね。高校の頃はステレオがある家は本当に少なくて、大人になって色々と買ってみたものの、自分はほとんどレコードを聴かないものだから、当時出会った、今のカミさんのために買ったようなものかな(笑)。


変革の波が押し寄せた時代

 1960年代に現れた新たな潮流は、その後、現代に存在する様々な音楽様式の源流であったようです。ロック、フォーク、歌謡曲などに大きな影響をもたらす、さまざまな音楽ムーブメントが現れました。中でもポピュラー・ミュージック大変革をもたらしたと言えば「ザ・ビートルズ」でしょうか。そんなビートルズに熱中したお二人のインタビュー記事です。

技術部 62歳
40年前の熱狂、そして今は…

 私の青春ミュージックといえば、ビートルズ。会社の寮で生活していた頃、ビートルズとの出会いがありました。寮のみんなでLP盤を回して聴いていたことを思い出します。
 中でも「ヘルプ」や「レットイットビー」、「イエスタデイ」がお気に入りで、特別な思い出があったわけではありませんが、あの頃の曲を聴くと寮生活を思い出します。

1966年6月29日!この日は今でも忘れられないビートルズファンとして特別な日です。ビートルズが初来日したこの日、4人がハッピを着てダグラスDC-8のタラップに立った姿は大変印象的でした。日本武道館で行われた、翌30日からの公演に行けなかった私は、ビートルズ日本公演の特別番組を始め、ラジオ・テレビにかじりついていたものです。(編集部注:視聴率56.5%だったそうです)

 ビートルズの後は、フォークを聴くようになり、ザ・ブラザース・フォアの「500マイル」は好きな曲のひとつです。フォークブームだった日本では、アリスや森山良子、吉田拓郎などを聞きました。特にアリスはコンサートに2,3回行ったぐらいお気に入りでした。
 コブクロやビギンがあの頃のフォークに似た雰囲気を感じて、好きですが、やはり昔のほうがよかったな、と感じてしまいますね。(笑)
 昔はビートルズにハマリましたが、今はサザンオールスターズを良く聞いています。
前は歌詞が良くわからなくて嫌いだったのですが、娘からCDをもらって以来気に入り、30周年の記念DVDを予約してまで手に入れるぐらいハマっています(笑)
 40年前、ビートルズの洗礼を受けた私は、今でも音楽がいつもそばにあります。

企画管理部 58歳
ビートルズ、パーシー・フェイス楽団

 私が中学1年生のときに、夕方のテレビ番組「国際ニュース」の中で、「イギリスのリバプール出身で熱狂的に人気を博しているグループ」というナレーションで、ビートルズが紹介されました。曲は「I Want To Hold Your Hand」だったと記憶しています。
 これまでに聴いた事のないようなサウンドの激しさに、正直言って違和感がありました。でもそのうち、ハーモニーの美しさと、サウンドの斬新さに次第に魅力を感じるようになり、ビートルズのシングルのドーナツ盤を買って、繰り返し聴きました。
 でも、どちらかと言えば、ビートルズ・ナンバーの中でも、「Yesterday」や「Michelle」、「Something」などのバラードが好きでしたね。
ビートルズ以外には、インストゥルメンタルの曲も、素敵な曲がたくさんあって、パーシー・フェイス楽団の「夏の日の恋」やビリー・ヴォーン楽団「真珠貝の歌」、ベルト・ケンプフェルト楽団「真夜中のブルース」などは、いろいろな思い出と結びついて、なつかしい青春時代の曲です。


1曲の重みを大切にして

 現代の音楽文化は、60年代から70年代に比べ、質・量ともに比較にならない発展を遂げているとは思います。しかし、生活と心を豊かにする文化として大切にされているか、と言えば、むしろ消耗品として大量消費されている面は否定できません。青春時代、物質的に決して豊かではなかったけれど音楽を大切に「聴きこんでいた」世代が、ここにもおいでです。

役員 56歳
音楽ソースはレコード

 高校・大学時代は、映画のサウンド・トラックをよく聴いていました。例えばフランシス・レイあたりかな。メロディーラインが哀愁を帯びて美しく、サウンドも心に染みます。ポール・モーリア・グランド・オーケストラの『エーゲ海の真珠』も好きでした。ニニ・ロッソのトランペットがフィーチャリングされているところが良かったです。純粋だったんですかね。これらの音楽は品位が感じられますね。

 この時代の音源は主にレコードだったんです。そのために、アルバイトしてコンポ・ステレオを買いました。アンプはパイオニア、チューナーはビクター、スピーカーはダイアトーン、というふうに、自分の好みで少しずつ買い揃えて自慢しあったものです。一度には揃いませんから、スピーカーを後回しにしたばっかりに、しばらくヘッドフォンで聞いていたこともありましたね。高価といえばレコードもそうで、めったに買えませんでした。

生活の名わき役

 70年代に入ると国内のフォークやロックが流行り始めて、私もハマリました。かぐや姫の『三階建ての詩』のレコードを誕生日に彼女からプレゼントしてもらったんですが、今でも大切にしていますよ。ロックは、イーグルスやローリング・ストーンズなども聴きましたが、何と言ってもディープ・パープルですね。

 音楽は心を潤す文化として、なくてはならないもの。人生でも映画でも名わき役として大きな部分を占めています。音楽は、主役になってはいけないのだと思います。いい思い出の中にはきっとステキなBGMが流れているんじゃないかな。
 当時、ラジオやテレビで流れる音楽は、社会的に「市民権を得た」音楽であり、それ以外で優れた音楽に触れるには、コンサートに行くか、レコードで繰り返し聴くしかなかったんです。現代は誰でも自主制作でCDが作れたり、インターネットで配信したり出来ますが、便利になった反面、文化としての価値が薄まったような気がします。アーティストの数も、リリースされる曲数も比べ物にならないくらい多い時代ですが、逆に消耗品のように扱われていないかと、音楽ファンとしてはさびしく感じます。

協力会社 叶エ水工務店 取締役工事部長 57歳
ドボルザーク「新世界」

 高校時代に吹奏楽部に入って活動していました。したがって演奏する曲はクラシック系だったり、吹奏楽のスタンダードばかり。それに熱中するあまり、当時流行していたポピュラーソングや歌謡曲には関心がもてませんでした。
 卒業後の吹奏楽部のOB会などがあると、なぜかわからないのですが、一番思い出に残っている曲として、ドボルザークの「新世界」をあげる人が圧倒的に多いんです。特別に回数多くやっていたわけでもないし、申し合わせしたわけでもないのに、不思議とこの曲を上げる人が多いですね。多分、各パートのそれぞれに、印象的なメロディーがあったのだと思います。
 そのうちいつか、OBが一堂に会して、みんなでこの「新世界」を演奏しようという話で盛り上がっていますが、はたして音が出るかどうか?(笑)

管理部 59歳
ハイドン「皇帝」、クリフ・リチャード

 子供の頃にクラシック好きな家族がいて、普段の生活の中にクラシック音楽がありました。そのせいか、小学生時代にこずかいをためて初めて買ったレコードが、ハイドンの「皇帝」だったと記憶しています。
 それでも青春時代はポップスも聴きましたね。私たちの時代は、「ビートルズ」世代と言ってもいいと思いますが、私はビートルズより前のイギリスの歌手、クリフ・リチャードをよく聴きました。1950年代末から60年代初めにかけてイギリスのポップミュージックシーンを席巻した人です。あの頃はヨーロッパのポップスがたくさん日本に入ってきていましたね。イタリアの「サン・レモ音楽祭」などのノミネート曲もよく聴きましたよ。意味がわからないままに、カタカナで歌詞を覚えてね。
 音楽的素地がクラシックだったせいもありますが、ジャズを聴くようになっても、クラシック曲に題材をとって演奏する、「ジャック・ルーシェ・トリオ」、「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」などが好きです。
 J-POPSも聴きますが中島みゆき、竹内まりやのように、個性的で唄のうまい人を好んで聴きます。

製鋼課 59歳
ダンス音楽から、民謡へシフト

 18、9歳の頃は、11月末から12月になるとダンスパーティがありました。近くの小学校の体育館とか高岡市民体育館などで開かれていましたね。そこで当時流行のビートルズやタイガースが流れていて、それにあわせてジルバなんかを踊るんです。最初からダンスなんてできませんから、クイックやジルバを習いにも行っていましたよ。
 22歳で結婚してからは民謡です。民謡を始めたきっかけが結婚式でした。お酒をあまり飲まない私が、お客さんを接客するのにどうやったら盛り上げられるかを考えたときに、式場で民謡を歌おうと思ったんです。地元で有名だった歌の先生について、富山民謡、とくにおわら節や麦や節などを練習しました。島尾の浜で発声練習をしたのも思い出です。実は、大阪であった民謡の西日本大会にも出場して、入賞した経験もあるんですよ。今はもう民謡も歌いませんが、今年はおわら風の盆の前夜祭に行って雰囲気を味わってきました。

総務課 57歳
POPSからクラシック、オーケストラへ変遷

 私が中学・高校生の当時は「J-POPS」というジャンルはなくて「歌謡曲」になります。当時は、数々の音楽番組が放送されていましたが、「夜のヒットスタジオ」はよく見ていました。生放送ならではのハプニングなんかも見ることができて面白かったです。いしだあゆみ、小川知子、小柳ルミ子、欧陽菲菲、ピンキーとキラーズなど、名前を挙げるときりがないですが、恋の歌はよく聴きました。小川知子なんて私の初恋の人によく似ていて、ちょっと注目。あとは、加山雄三の『若大将』。彼がエレキギターを弾く姿は本当にかっこよくて憧れたものです。受験シーズンに、一緒に勉強しに行くという名目で、友達の家へ音楽を聴きにいっていたことを思い出します。
 社会人になってからはお金をためてコンポーネントステレオを買い、レコードを聴くようになりました。カセットで聴くのとは音質が大違い。ポール・モーリア・グランド・オーケストラやビバルディの『四季』なんかを臨場感たっぷりに聞いていました。


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【編集後記】

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